2012年12月3日月曜日

E・Hカー著『歴史とは何か』

渋田麻衣子

・要約
Ⅰ 歴史家と事実
 第1章において歴史家と歴史的事実との関係が述べられている。アクトンの「完全な歴史」支持する主張と、それから60年後のサー・ジョージ・クラークによる「歴史家たちは自分たちの仕事を乗り越えられるべき」だという主張の相違から、歴史は意識的にせよ無意識的にせよ時代的な地位や社会的見解を反映しているのだ。アクトンの時代19世紀では歴史家に必要なものは事実であるという事実尊重の時代であった。しかしこの実証主義は歴史家に考えるという重要な義務を怠らすものであり、その後イギリスにおいてこの実証主義は主観・客観を別の過程として考える経験論と調和し歴史家の解釈の重要性が重視されるようになる。
ではこの実証主義の言う事実と主観・客観とはなんであろうか。事実は歴史家が選択した基礎的事実(補助科学から得られる)の羅列であり、重要であると判断されることで歴史的事実となる。これに歴史家の主観的・客観的な判断と評価が加わり歴史的事実となるのだ。したがって歴史を研究する前に、それを扱っている歴史家の思想などを研究し、創造的に理解し、また現在の目で以ってその歴史を見なければならないのである。
そして「歴史とは何か」の答えとして著者は事実を用いない歴史家は意味もないし、歴史家がいなければ事実は意味をもたないことから「歴史とは歴史家と事実との相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の対話である」としている。

Ⅱ 社会と個人
 第2章では社会と個人との関係が述べられている。社会と個人は互いに必要とし、補い合う不可分のものである。例えば言語は遺伝ではなく育った集団からの社会的獲得物であるし、人間性というものは国や時代などの支配的・社会的な条件や慣習によって形作られた歴史的現象と言える。歴史家もまた同様に彼の社会の中で影響された故にそれを研究するに至ったのだ。
 前章では歴史を現在と過去の事実の相互作用、対話であるとしたがこれら両者において個人的要素である歴史家と社会的要素である歴史的事実の関係も述べられている。歴史家は社会的産物であるため、その時点から見た過去の視点というものがある。ドイツのリベラリスト、モンゼンが「ローマ史」でシーザーを歴史的に描いたことはドイツ革命の失意の中で強力な指導者を求めていたからで、マイネッケやバターフィールド教授の見解が時を経て逆転したのは激動の社会下にいたからなのである。またこれらは歴史を語ると同時にその時代の思想を反映しているとも言える。したがって著者は「歴史家を研究する前に歴史家の歴史的、社会的環境を研究せよ」と説いている。歴史的事実についてはウェジウッド女史の「社会ではなく『個人』としての意識的研究による」ところが大きいという主張に対し、人間は完全に意識的に行動しているわけではないので、無意識的動機を排除するのはおかしい、そもそも社会と個人に一線を引く自体誤りなのだ。歴史的事実もまたその歴史家の時代を背景に持つのである
 その他に歴史には重要なものが3点ある。1つ目は「数」で、個人が抱いた不満などがあまりに多数であると歴史家は無視することができないということ。2つ目は「諸個人の行動に対する意図せざる結果」のことで、歴史家が研究するのも個人的な動機や思想とは関係ないかもしれないということ。3つ目は「反逆者や偉人」などの異端者のことで、彼らは歴史的過程の社会現象であると同時に生産者であるということである。
 以上のことからわかるのは歴史とは一つの社会過程であり、個人は過程に入りこんでいる。歴史家と事実の相互作用は今日の社会と過去の社会の対話であるということだ。歴史において過去は現在の光に照らして初めて理解できるものであり、現代は過去の光に照らして初めて理解できる、二重の性格があるのである。
Ⅲ 歴史と科学と道徳
 歴史は事実を収集し、解釈する作業を経るという意味で科学である。歴史家が自分の研究過程で用いる仮説の地位も、科学者のそれと酷似している。また一般的なものを扱う科学と同様に歴史には二つとして同じものはないが、歴史家も特殊的なものの中にある一般的なものを扱うことや過去の教訓を吟味することで教訓を得ることができること、将来の行動のために有効な一般的な指針を与えることができるという点で一種の予見が出来るということや,歴史は主体と客体が同じであるのでそれぞれの見方が出てくるがその見方によって予言されることで相互作用が生まれることなどから科学と呼ぶことができる。
 歴史と道徳の関係であるが歴史家は個人ではなく過去の事件、制度、政策に対して道徳的判断を下さなければならない。また歴史的事実にはある程度の解釈が前提とされるため、道徳的判断が含まれている。さて、この道徳的判断は歴史家に困難を招く。「進歩の代償」などと呼ばれるものの判断である。これに関しては歴史家もまた歴史の中に生まれており、断定的な答えを持つには至らないがこれらの超歴史的な「価値」に屈服するわけではない。歴史家は「善」や「悪」といった非妥協的な言葉を用いるよりも社会や歴史を相互関係から規定しようとする企てである「進歩的」とか「反動的」といった比較的性質の言葉を用いることで道徳的判断を表現するのである。
 どんな科学も人間とその環境に対する研究であり、目的は一つ、環境に対する人間の理解力と支配力を増すことに他ならないのだ。歴史家と物理学者は問題を提起し、これに答えるという根本の手続きは同じなのである。
Ⅳ 歴史における因果関係
 歴史の研究は原因の研究であり、歴史家というのは回答を得る見込みがある限り「なぜ」と問い続ける存在である。今日の歴史家は因果的見方(なぜ起こったか)を斥け、「説明」、「解釈」と言った機能的見方(いかに起こったか)を採用する傾向があるがこれは「なぜ(原因)」という問題も含んでいると指摘している。そして歴史的原因を独自の範疇のものと捉えるものがいるが、全ての種類の原因に共通なものを強調する方がより有益である。
 では歴史家が事件の原因を挙げる際手順はどうだろうか。第一に一つの事件に対して経済的、政治的、思想的、個人的さらには長期的、短期的のいくつか原因を挙げる。次に諸原因を秩序立て、上下関係を設定する。ここに歴史家の解釈が加わるのである。この手順によって「なぜ」という問題が蓄積し、経済史、文化史そして政治史などの問題に対する心理学、統計学などが発展しその解答も増加してきたのだ。この歴史の状況はまさに原因と結果の分化と原因の範囲が拡大していく科学と言えるだろう。また諸原因には合理的原因と偶然的原因があるが後者は一般化を生み出さず我々に教訓をあたえない不毛なものである。また著者が「クレオパトラの鼻」とよぶ自由意志の論理は原因を考慮していないし、「ヘーゲルの姦計」と呼ぶ不可避性も非歴史的な反応であるとしている。
 最後に歴史とは伝統の継承から始まり、伝統は過去の習慣や教訓を未来へ運びいれるためのものであるため、「なぜ」という問題とは別に「どこへ」という問題も提出するものなのであるとしている。
 
Ⅴ 進歩としての歴史
 歴史は「過去に対する建設的な見解」である。歴史が進むに連れて大過去の解釈が蘇ることがあるが、これは過去の解釈が拒否されたのではなく新しい解釈にとって代わられたということを意味する。「過去に対する建設的な見解」が無ければ歴史は解釈できないのだ。古代文明において歴史の過程は自然の過程であるという循環的歴史観が生まれ、中世では歴史に意味と目的が加わった目的論的歴史観となり、ルネサンスではこれに歴史はゴールへ向かう進歩であるという合理的性格が回復する。そして現代において歴史とは「進歩する科学」であるという見方がされるようになる。
 では進歩とは何であろうか。社会的獲得物である進歩は生物的遺伝に値する「進化」は異なる。進歩は獲得された技術などが後の世代に伝達して行くこと、歴史の自由に向かう進歩と歴史の自由の理解へ向かう進歩という「過程」であること。歴史家にとってはあるものの行為に自分の仮説を適応し、彼らの行為を進歩として解釈することであるとしている。
 これはしばしば歴史における客観性が問われるが、歴史家にとっての客観性と事実と解釈の間または過去・現在・未来との間の客観性を示す。したがって絶対的に客観性でない歴史というものの唯一の客観者というのは変化・未来であるとしているが、客観的と言われる歴史家とは未来への理解が進んでいる者であり、彼がこの事実と価値の相互作用を深く見抜くことができる歴史家なのだ。
Ⅵ 広がる地平線
 現代における歴史・歴史家の地位についての反省がなされる。歴史は人間が時の流れを自然的過程ではなく、時の流れに意識的に影響を与えるような特殊的事件の連鎖であると考え始めた時に始まった。自己意識(理性)はデカルトに始まり、18世紀にルソーが理性において自己理解と自己意識の関連性を発見した時人間は周囲の世界とその法則を受け入れるようになる。しかしここにおいては人間自身が法則を作ってその下に生きるという権利を意識していなかった。それから現代に至る間にヘーゲルとマルクスによって自然法則を支持する決定論と意識を重きとする主意主義の統合が主張されるようになる。19世紀には理性は社会と個人を意識的に作り変えるものとなり、現代、フロイトにより社会環境つまり歴史は人間自身の創造と変更の過程であると主張されるに至った。そして著者は無意識から自己意識へ、客観的な経済統制から意識行為によって経済的統制は出来るという主張への転換は「進歩」と呼んでいいだろうとしている。つまり社会において人間の理性の主要機能は変更であると主張している。20世紀は理性の合理化が拡大し、またアジアの発展に伴う英語圏諸国の相対的低下などの世界の形の変化の時代となるだろう。
 世界は動きつづけるのだ。
・感想
 これまで「歴史とは何か」と深く考えたことがなく本書を読み多くの発見と驚きがあった。そしてこれまで以上に学問(科学)に向かう姿勢や学問の理解の重要性、責任を感じた。どんな学問(科学)においても当てはまるだろうが自分が学ぼうとする対象の定義や概念をよく理解し、責任を持って学ばなければならない。本書を読み終えた後、私が姉に「歴史とは何か」を尋ねてみると「今を作っているもの。重大な出来事の記録」という返事が返ってきた。以前は私もそう思っていただろう、というよりはそう問われて初めてそう感じただろうと言う方が正しい。この返事から歴史とは著者の言う現在と過去との対話であることを改めて認識し、また歴史家が歴史的事実と判断したもののみが私たちにとっての歴史と考えていたことが分かった。私の歴史に対する考えはこれだけでこれまで歴史を鵜呑みにし、その歴史家や彼の生きた時代を考慮するなどという考えは全く無かったのである。本書は私に「歴史とは何か」のみならず「学問とは何か」を考える機会を与えてくれた。
 
しかし本書を読むにあたり著者は「歴史とは」以上に「歴史家とは」に偏り焦点を当てていたのではと感じた。「歴史とは何か」を歴史家の作業を考察することで語ってしまっていた嫌いはないだろうか。そうではなく始めから科学としての歴史についての考察から開始し、その後に歴史家の役割を述べた方がより理解し易かったのではないかと思う。すなわち歴史=科学であると私たちに認識させてから諸説明を始めた方が消化しやすく、体系的な理解につながったのではないか。
また著者は「数」の重要性について簡潔ではあるが簡単にしか述べていない。著者の言う「比較的性質」で考えると、これはより重要度の高い問題なのではないかと思う。著者自身が歴史家であるためか今日の歴史がその地位を確立していくまでの流れは詳しく述べられていたのだが「数」の問題は一部でしか述べられていない。しかし歴史家が事実を「解釈」でもって歴史的事実として取り上げ、これに更に詳しい解釈を加えることと、「数」でもって事実を取り上げてこれに解釈を加えることは少なくとも同等に重大なのではないかと思う。コロンブスが新大陸を発見したことや(これはヨーロッパ中心主義の史観であるが)エジソンが白熱電灯や電話を発明したことは歴史に新しい発見や成果として名を残すが、1908年から1927年にかけて米国でフォードがT型を1500万台を売り上げたこと[1]やヒトラーが世界恐慌のなか中間層の多大なる支持を得て総裁となり独裁政治が始まったこと、アメリカの銃殺事件が年間1万件を超えるのに対し日本では30件あまりしかないこと[2]もまたその数の影響から歴史家が見落とさない判断と解釈の機会を与えるはずである。歴史に対する絶対的「数」の影響力というのは多大であり、もっと取り上げられるべきではなかったのではと思う。
 また歴史家はその仕事に「良心」という概念を取りいれるものなのかという疑問が沸いた。歴史家が私たちに教訓を提示してくれる存在の一人であればそうなのではないだろうか。(それが絶対的信念のような解釈であればどうかと思うが)歴史家が、20世紀において、社会主義は官僚主義的だし今日の先進諸国の資本主義の方がより民主主義的だと解釈するとする。しかし何人かの歴史家が社会主義は資本主義よりも民主主義的になりうるという予見をした場合、これからの歴史に影響して資本主義国が社会主義に変わる可能性が少しだけあるのではないか。こうした場合を考えると、歴史家の解釈に良心を取り込んで欲しいと考えるのは誤りだと考えたくない。もちろん歴史にはいくつもの原因があり、そういった歴史家の解釈はそれらの原因の上下関係の最下位付近にあるかもしれないが。歴史家は大概を扱うジャーナリストや評論家が「良心」を持てるように歴史家もまた「良心」の主張を行ってもいいのではないか。
終りに、今後の未来には歴史科学のさらなる分化・深化で著者の言う事実の選択と解釈の2重の作業を行うようになる歴史家(近代史家というよりももっと最近の歴史を取り扱うようになる歴史家のこと)の数が増えるだろう。より多くの専門的歴史家が増えると各人にかかる責任も重大になるし、各々の歴史学の連携も重要になってくる。情報化社会の今日秩序を無視した、情報の価値に差のある様々な情報が飛び交う今日では歴史家と同様に私たちも日常的に事実を吟味し、深い考察による解釈で以って現実と本質、歴史を理解しなければならないのである。